平成23年1月19日(水)  目次へ  前回に戻る

この寒い中でもニンゲンは相争うている。イヤになりますよ。

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さて、清の乾隆のころ、南昌の町で、

有鶴為民犬所斃。

鶴、民犬の斃すところとなる有り。

一羽のツルが、民家のイヌにコロされたことがあった。

ところが、この鶴には、

有金牌。

金牌あり。

黄金の札がつけられていたのである。

すなわちどこかの貴顕の家の飼い鶴だということだ。

案の定、ある王のもとから南昌太守のところに、

―――貴下の治める郡民が我が藩の所有する鶴を斃したのだが、貴下は如何なる形で責任をとられるのか。

と言って寄越した。

このときの太守は張思南、字・汝舟というひと、

「王家からの訴えでは放っておくわけにもいくまい」

と即座に裁判を開いて、判決文を書いた。

その判決文に曰く、

鶴雖有牌、犬不識字、禽獣相残、与人何与。

鶴に牌ありといえども犬は字を識らず、禽獣相残(そこな)うも人と何ぞ与(あずか)らんや。

ツルに札がついていたとしてもイヌは字が読めないのである。鳥が獣に虐せられたとしても、それが人間に何の関係があろうか。

イヌを飼うていた民家には何のお咎めもなく、王家の使いの者に判決文を持たせて帰らせたので、人民たちは快哉を叫んだということである。

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龔巣林「巣林筆談」巻五より。

人治主義社会の中でこのような判決を出したのは、立派なことである。

 

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