平成22年12月14日(火)  目次へ  前回に戻る

清の時代のことでございます。

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高宗・乾隆帝が山東の衛河に沿うて船で南巡されたとき、船中より陸上で耕作しておった農夫に目を止められ、お呼び寄せになって、民間の苦労、近年の農作の良し悪し、さらに

問地方長官之賢否。

地方長官の賢否を問う。

地方の長官たちの評価をもお聴きになられた。

農夫の回答は一いちすべて帝のお心に叶い、帝はたいへん上機嫌で、さらに

遍視随扈諸臣。

随扈の諸臣を遍視せしむ。

随行してきている重臣たち全員を農夫に引き合わせた。

そして、重臣たちに、

「一人ひとり、この農夫に自己紹介せよ」

と命じたのである。

群臣以農夫奉旨詢問于上前、不敢不以名対。

群臣、農夫の奉旨して上前に詢問するを以て、あえて名を以て対せず。

重臣たちは、農夫さまが指示を受けて皇帝の前で質問する地位におありであることから、(官職などで自己紹介し)自らの名前を言わなかった。

「名を以て対せず」を自分の名前を言わなかった、と訳してみましたが、「(農夫を)(目上の方として)名前では呼ばなかった」という意味かも知れません。、

中多有恐農夫採輿論上聞、致触聖怒者、皆股栗失常。

中に多く、農夫の輿論を採りて上聞し、聖怒に触るるを致すことを恐るる者ありて、みな股栗して常を失う。

「股栗」は「股慄」と同じで、「(おそれおののいて)足が震えすくむこと」である。

重臣の多くは、農夫さまが世間の(根も葉もない?)うわさを聞き知っていて、自分のうわさを皇帝に話し、ために皇帝の怒りを触発することがあるのではないかと、びびりまくって平常の様子では無かった。

「輿論」は「輿」(ヨ。こし)を担ぐ下僕たちの間の意見、のことである。「童謡」や「鄙歌」と同様に、何も考えのないしもじもの声の中にこそ天の意志が反映されることがある、ということから、古来、呪術的な力を持つ「ことあげ」として尊重されたのであり、単なる「世論」(世間の議論)とは本来はちょっと違うものなのである。が、まあ大体同じものと考えておいてよろしいでしょう。

さて、農夫さまが重臣たちの面通しを一通り終えますと、皇帝は

「今おまえが会った中に、悪い者がおったら教えてくれぬか」

とお訊ねになられます。

「さようでございますなあ・・・・」

ぴーーーーーーーーーーー!

群臣たちの緊張・恐怖は最大限高まって、次の農夫さまのお言葉を待った。

「さよう・・・、

吾見演劇時、浄脚所扮之奸臣、如曹操、秦檜、皆面塗白粉如雪。

吾、演劇を見るの時、浄脚扮するところの奸臣、曹操・秦檜の如きは、みな面に白粉を塗りて雪の如し。

わしが、村芝居を見ますときには、悪役の方が演じまする悪い臣、漢を乗っ取った曹操、南宋の売国奴・秦檜など、どれもこれも顔に白粉を塗って真っ白にしてやがりまする」

「浄脚」は芝居の「かたきやく」のこと。「脚」は「脚色」「脚本」の「脚」で、「役」。「浄」はもともと「かたきやく」になるのは「参軍」(お代官さま)が多かったので、「参軍」を縮めて「浄」(じゃん)と言うたのだ、とも、「かたきやく」は白か黒の塗料を顔に塗る(これが「脚色」である)ので清浄ではないことから、それを逆転させて「浄」と呼ぶようになったのだ、ともいう。(ゲンダイのテレビ人が「テレビ」を「ビーレテ」と逆転させていうのと同じ?かも知れません。)(なお、「参軍」については明日参照)

「ところが、

今諸大臣無作此状者、故知其皆忠臣也。

今、諸大臣にこの状を作(な)す者無し、故にそのみな忠臣なるを知れり。

ただいま、重臣のみなさまを一覧させていただきましたところ、そのような顔をしているお方は一人もおらんかった。どうやらみなさん、忠義の臣下の方々ばかりでございますようじゃ」

この答えをお聞きになって帝は大いにお笑いになり、重臣たちもにこにこされたということである。

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ああよかった。清末のひと徐珂の編纂に係る「清稗類抄」より。徐珂は字を仲可といい、浙江・杭州のひと。清代の多くの筆記小説や文集から事件・制度や有名人のエピソードなどを博く集め編纂したのが「清稗類抄」で、民国六年(1917)に刊行されたのである。

清の朝廷は、忠臣ばかりの「忠臣蔵」だったのでございますなあ。

 

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