平成22年11月2日(火)  目次へ  前回に戻る

今日帰り際にボスが言ったのさ。

「へい、肝冷、ユーは明日オフィスに来なくていいぜ」

てな。

おいらは明日お休みってわけさ、だからおいら、こんなに今夜はご機嫌なのサ、ハニー。

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・・・関が原合戦のときのことである。

明日、明後日にも戦ならんという夜、加藤嘉明の陣の前を忍び通る者があった。

見回りの者が見つけ、捕らえて、

忍びか。火付けか。切りて捨てよ。

と詮議しあっているところへ、嘉明が現われ、

其士は主君の為に死を顧みざる者なり。吾陣所の備えさへ怠らずば、彼如何にして吾を窺ふべきや、勝敗に拘はらざれば、命を助くべし。

「そやつはそやつのあるじのために死ぬこともかえりみずに一はたらきしにまいったものじゃ。こちらの陣の備えさえ怠らねば、そやつらにどんなことができようか。そのような小細工、戦さの勝ち負けに関わろうはずもない。そやつの命など、捨ておけ」

と言うて、放たせた。

家臣どもこれを聞いて、さむらいは主君のために死ぬるべきこと、夜の陣の備えを怠ってはならぬこと、戦さの勝ち負けは小細工ではなく会戦での差配であること、そして幾多の死線を越えてきた主君・嘉明がいくさ場での信頼に足る「いくさ人」であること、をいまさらながら思い知ったということである。

さて、関が原合戦の当日、午後になるころには西軍はことごとく潰走しだしたが、こうなるとそれまで合戦に加わっていなかった諸隊が、

我も我も

と敗走する敵を追い討ちにして、一つでも首級を挙げようと血眼になりはじめた。

いくさ場の常といえば常である。

何れの備にても、先手は申すに及ばず、旗本の備までも手薄く相見えたり。

どこの部隊でも、先鋒の兵士はもちろんこと、大将の周囲の兵までも追い討ちに出て手薄く見えた。

このとき、嘉明の軍は石田三成軍の先鋒を追い崩して大いに士気があがっているところであったが、すでに全体の勝敗の決しているのを見てとった嘉明は意外なしわざを採った。

@    自ら馬を乗回し、追い討ち無用のよし、高声に下知

大将自ら馬を乗回して、追撃戦で戦果を拡大しようとする諸隊を引き止めた。

これにより、追い討ちのために戦列が混乱した前線諸隊の中で、嘉明の軍だけは

先手旗本の総人数一所に相備へ、殊の外見事なり。

先鋒も近衛もみな一塊になって陣列を整えており、ことのほかに見事であった。

誰が見ていたか、というに、はるか後方で徳川家康が見ていた。(←ほんとはこのとき、影武者・世良二郎三郎にすり替わっていたわけだが)

見ながら、

―――見事とは左馬助(加藤嘉明の官名)がことよ。

と側らに控える本多作左に呟いた。

―――いま、もしこの戦さに石田の伏せ勢があって、思いも寄らぬところより攻め返しがあってもみよ。わしが頼れるのは左馬助だけじゃ。

本多も「家康に過ぎたるものが二つある」の一つといわれたほどのいくさ人、

―――御意。

と頷いた。

A    出馬の時は勝(すぐ)れて美麗なる甲冑を着せしが、敵敗るると、其の儘目に立たぬ具足に著替たり。

朝の出撃のときにはたいへん美々しい鎧兜を着ていたが、敵の敗北がほぼ確実になると、するりと目立たぬ実用的な具足に着替えた。

・・・・そうでございますよ。

これは当日でなく数日後に、加藤隊から聞いたこととして家康の近習の者から家康の耳に入った。

すると、家康、ぽんと膝を打ち、

―――これがことよ。(これじゃよ、これ、これ)

と嘆息した。

近習の者、どういうことかわからず顔を見合わせていると、本田佐渡が苦笑しながら、

―――今の若い者はそんなこともわからぬようでございますぞ。

と言うたので、家康も苦笑して、

是、狙撃を慮りし故なり。

「鉄砲で狙い撃たれるのを心配したのじゃ」

とわざわざ教えたということである。

大将たるもの、いくさ場では家臣たちからよく見えるように美々しい鎧兜を着しているべきはもちろんであるが、いくさ場が終わったら、美々しい鎧兜は、敗軍の中の鉄砲使いに一撃で大勢を逆転できるかも知れぬ「弱点」を教えているだけに早代わりする。

総じて左馬助は、万事に功者なる者。

「どんな場面でも左馬助は、よろずのことに気の効くおとこじゃな」

と称賛せられける。

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「名将言行録」巻三十一より。さすがは朝鮮の役で知将・藤堂高虎に屈辱を味あわせ、後に家康が死の床にあって

―――清正は何とかしたが、まだ嘉明がのこっている。(加藤嘉明は当時会津40万石)

と心配させたというほどのタマである。

このとき、家康の継嗣・秀忠は

「左馬助どのは関が原の勝ち戦の中でも狙撃を恐れた小気者(気が小さい男)と聞き及びますが」

と返答した。

家康はかぶりを振り、

―――小気なりとて油断すべからず。

「それが、おそろしいのじゃ・・・」

と答えたということですが・・・。

別にわたくし、「名将言行録」がスキなわけではないのですが、前回引用したとき二人も読んでくれたらしいので感動してまた引っ張ってきました。(二人でもこのHP的には)奇跡的な食いつきのよさなることよ。でも「名将言行録」なんて朝礼のネタになるぐらいで、例えば昨日の「漢文」の方がずっとあなたの人生のマコトの意義にとってずっとタメになるような気がします。けどね。

 

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