平成22年9月10日(金)  目次へ  前回に戻る

ニホンで一番歌が上手なのは北原ミレイさんと確信した日であった。

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さて、漢文アリジゴクは深く暗い。これにはまりこんでよりわしには心安らぐことがない。何とか脱け出すべく今日は和文を読んでみます。

江戸初期の京都所司代・片倉伊賀守勝重どの家中のことでございます。

当時の武家の家臣には、主君から領地を与えられて、そこから年貢米という形で給与を得る者と、一年間分の給与を主君の倉から扶持米という形で与えられる「一年まかなひ」という下級の者とがあった。

片倉家の扶持方(給与係)はあるとき、経費を節減しようと、この「一年まかなひ」の者たちに給与として支払われるコメの、量をはかる際の枡を小さく(「細く」)したのである。枡を小さくすると同じ「●枡●合」という表記のままで、実質の給与の量が減るからである。

うまく考えたものである。

さて。

ある日、伊賀守はくつろぎながら、家中に

なにぞかわりたる事はなきか。

最近、何かおかしなことは起こっておらぬかな。

と近習に問うた。

すると、松平太郎作という老侍がにじりより、

この此(ころ)狂歌あり。

最近、我が片倉家で流行っている狂歌があるのでござる。

というて、朗々とうたいあげたる歌は、

ほそきもの恋の心に琴のいと三郎がすね扶持方の枡

細ぼそとしたものは――ひとに知られぬように押し隠した恋の心、琴の糸、さぶろうはんのすね、給与係の使うマス。

「三郎」というのは、このころ京都に「足やせてほそき」名物男がいて、この男は本名は誰も知らぬが「さぶろうはん」と呼ばれていたのだそうで、そのひとのことである。

この狂歌を聞いて、伊賀守、さすがは徳川にそのひとありと言われた名所司代である。

「ようわかった」

とうなずいた。枡数を変えずに枡の大きさを変えることで「ごまかす」。これをお上がしていたのでは、部下も、民草もそれを真似て、「ごまかす」ことに血眼になるであろう。そうして社会の倫理が壊れるのは、経費節減の利益に比べて、あまりにも巨大な損害である、ということである。

―――ああ。税金払わぬ総理もおりましたなあ。

伊賀守、即座に扶持係に枡を元に戻すように命じると、太郎作に向かって問うに、

「ところでその狂歌はおまえが作ったのであろう」

と。

太郎作、居住まいを正して、

臣は文盲なり。何としてよみ可申(申すべき)や。

やつがれは文盲でござるぞ。どうやって歌が詠めましょうや。

と答え申したということである。当時のさむらいはかように正直太郎であったのである。

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伊藤梅宇「見聞談叢」巻五より。かっこいい。ですが、キンダイ社会では文盲ではまずいですから、やはり漢文アリジゴクで文字を勉強しなければならんか・・・。

ところで、この狂歌の中の「恋の心」、男女間の恋だと思いますか? わしはアヤシイと思いますぞ。かつて「葉隠」を読んだとき、「武士道とは衆道と見つけたり」と思ったものですが、片倉家では如何であったものか。

 

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