平成22年9月7日(火)  目次へ  前回に戻る

東晋のはじめころのことである。

光逸(8)、字を孟祖というひと、安東将軍の胡母輔之(1)(こぼ・ほし)の部下として任地の湘州に赴き、将軍の公邸を訪ねたところ、輔之は、幕僚の

謝鯤(2)、阮放(3)、畢卓(4)、羊曼(5)、桓彛(6)、阮孚(7)

とともに

散髪裸裎、閉室酣飲已累日。

髪を散じ裸裎(らてい)して、閉室に酣飲することすでに累日なり。

もう何日も、(冠をかぶらないのはもちろん)髪を束ねもせずに裸になって、閉じきった部屋の中で酔っ払っていた。

光逸もその室に入ろうとしたのだが、門番がいて

「いま取り込み中でございまして」

と入らせようとしない。すると、逸は、

「あ、お客さま、何をされるのか」

と門番の制止するにもかかわらず、

便于戸外脱衣露頭于狗竇中窺之而大叫。

すなわち戸外にて脱衣して露頭し、狗竇(ことう)中よりこれを窺いて大叫す。

すぐに、邸の外で服を脱ぎ、冠を取り去って髪をあらわにし、犬の通り抜け用の穴から室内を覗きながら、大声で意味不明の叫び声を上げたのであった。

酔っ払っていた輔之であるが、その声を聴きつけて、犬の穴から逆に呼び返した。

他人決不能、爾必我孟祖也。

他人決してあたわず、なんじ、必ず我が孟祖ならん。

ほかのひとにこんなことはできないだろうから、おまえは恐らく我が友の光孟祖であろう。

ついに門番に命じて光逸を室に入らせ、他の六人とともにまた飲み始めて、昼も夜も止めなかった。

これを時のひとびとは「八達」(八人のよくわかったひとたち)と呼んだものである。

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晋書(巻四十九)・光逸伝」より。

巻四十九は晋(西晋)の阮籍らの「竹林七賢」とこの「八達」の列伝になっており、こういうあほみたいなエピソードの宝庫みたいになっています。巻末に、

史臣曰、夫学非常道則物靡不通理。

史臣曰く、それ、非常の道を学べば物の理を通ぜざるなし。

後世の歴史家が申し上げる。ああ、普通でないやり方を学んだ方々は、物事において理解しきらないことはなくなるのである。

と七賢と八達を称賛しているのですが、どう持ち上げてみても、この「八達」の状態は変なクスリを使うパーティーにセレブたちが集まっている状態としか思えず、彼らは●しおさんみたいなひとでは・・・。でもよく考えてみると、そういう状態にあこがれ、それを時代の最先端と考える向きもあるのだから、数百年もすれば●しおさんも「何とかの七賢」と崇められることになるのかな。

 

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