平成22年9月2日(木)  目次へ  前回に戻る

みなさんは、どうしてそんなにエライひとの側に寄るのが好きなんですか?まあこの話でも読んで一度考えてみてください。

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唐の玄宗皇帝のころ、羅思遠という術者がおられた。

彼は、「隠形法」という術の名手であった。「隠形法」とは自分の身をひとから見えなくする術で、要するに透明人間になれるのである。

帝は何事にも好奇心の強いお方であるから、思遠にその術を教えるよう命じた。

「あいわかりました」

と言うて思遠は皇帝にその術を伝授したのである。

「よし、では一緒に消えてみよう」

「よろしうございますぞ」

と二人同時に術を使うと、白い煙が「ふわ」と立ち上がって、あっという間も無く二人の姿は掻き消えてしまった・・・

と思ったのだが、思遠の姿は完全に掻き消えたのであるが皇帝の方は

或余衣帯、或露幞頭脚。

あるいは衣帯を余し、あるいは幞頭脚を露わす。

あるいは衣の帯だけが消えずに残り、あるいは皇帝の冠の結び紐だけが消えずに宙に浮んでいる。

ような状態。要するに不完全にしか透明にならない。このため、透明になって宮女たちにイタズラをしようとしてもすぐに所在がばれてしまうのである。

皇帝は思遠に、完全な術を伝授するよう、伝授しないなら死罪を申し付けるであろう、と迫ったのだが、思遠はにこにこと

「帝のようにイタズラのお好きな方には、宮女さまたちがお困りになってしまいますから完全な術はお教えできませぬ」

と笑うばかりである。

帝はついに、

怒、命力士裹以油襆。

怒り、力士に命じて油襆(ゆぼく)を以てこれを裹(つつ)む。

お怒りになり、力士たちに命じて思遠を油を引いた布でぐるぐる巻きにさせた。

「うわあお助けくだされ」

とここまではみなまだ冗談だと思って、宮女やら側近やらは笑っていたのですが、帝は宮中の庭に穴を掘らせ、

「隠形法で脱け出してみるがよいわ!」

置棺木下圧殺而埋之。

棺木の下に置き、圧殺してこれを埋む。

穴の底にぐるぐる巻きの思遠を入れると、その上から棺を置いて押しつぶし、さらに土をかけて埋めてしまった。

そして、その上に土まんじゅうを作らせたのである。

側近らはみな青くなった。

しかし、助けてあげましょうなどと言えるものではない。

みな、怖ろしいものを見るような目で中庭の新しい土盛を見るものの、だからどうする、ということも無い日々が数日続いた。

帝自身もその土盛を見るとたいへん不安そうに見受けられた。

ところが、数日後、四川方面の用務から帰ってきた宦官のひとりが用向きについてご報告した後、

「そういえば帰り道で、

逢思遠于路、笑曰上為戯一何虐耶。

思遠に路に逢うに、笑いて曰く「上、戯を為すこと一に何ぞ虐なるや」と。

思遠どのに道でばったり出会いましてな。彼は笑いながら「おかみのおふざけは本当にひどいですなあ」とおっしゃっておられました。」

と伝えたので、帝も側近たちもみなほっとし、それ以降、誰も中庭の土盛を気にしなくなったのだった。

羅思遠はそのまま仙界にでも行ったのであろうか、その行方を知る者はいない。

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19世紀末の米国の奇術師フーディーニは鎖で両手両足を縛られても大砲の中から脱け出したり、急行列車の通り過ぎる寸前に縛り付けられた線路から脱出したといいますから、羅思遠も大丈夫だった・・・んでしょう、か。なんだかかなりヤバい気がしますが、まあいいか。

玄宗皇帝の宮廷の逸事を記した「開天伝信記」(唐・鄭綮撰。「太平広記」「類説」所収)による。

 

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