平成22年8月26日(木)  目次へ  前回に戻る

興行ごとの口上は

とざい、とうざい・・・

で始まることになっておりますが、これはもともと相撲興行の口上に

東より西まで鎮まりたまへよ。

とあったことが起こりといい(「大言海」による)、ついに「東西屋」(路上にて広告を呼ぶ商売)という職業まで生み出したという。―――ことですが、シナ俗語に「東西」というのは、「品物」「物品」の謂いで、宋のころにはもう一般的な口語となっていたらしい。

なにゆえ品物を「東西」というのか。

ア)五行由来説

明の崇禎年間(1628〜44)のこと、宦官がひとり、翰林に供奉する詞臣(文章を書くことを以て職務とする官員)たちのところにやってきて、お上のご下問を伝えた。曰く

今市肆交易止言買東西、而不及南北、何也。

今、市肆(しし)に交易してただ「東西を買う」と言い、南北に及ばざるは何ぞや。

現代において、市場や店でモノを売り買いするとき、「東西(物品)を買う」とはいうが、「南北」とは言わないのはなんでか?

居並ぶ翰林の俊秀たちは顔を見合わせて黙りこくってしまった。

すると、まだ若手の補佐官であった周延儒が進み出て、

「申し上げます。

南方火、北方水、昏夜叩人之門戸求水火、無弗与者、不待交易。故但言買東西、而不及南北。

南方は火、北方は水なり、昏夜に人の門戸を叩きて水火を求むれば、与えざる者無く、交易を待たず。故にただ東西を買うといい、南北に及ばず。

(五行説によれば)南方の象徴は「火」でございます。北方の象徴は「水」です。夜中に、知らないひとの家の門扉を叩いて(突然押しかけたとして)も、(渇きや焚き火のために)水や火を分けて欲しい、というのであれば、誰でも分け与えてくれるでしょう。交易によって売り買いするものではありません。だから、交易する物品については「東」「西」といい、「南」「北」は言わないのです。」

と答えたのであった。

宦官からこの回答を伝え聞いた皇帝は、その博識をたいへん褒めそやした、ということである。

ちなみに、五行説では東方は「木」、西方は「金」が象徴になります。

イ)地理的概念説

この周延儒の説について、清の乾隆のひと龔巣林

太穿鑿。

太いに穿鑿せり。

またとないぐらい、ぐりぐりして穴をあけるように細かくムリムリに説いた説明である。

と異議を唱えている。

愚以此語定起東漢、其時都市之盛、侈陳東西両京、俗語買東、買西、言売買者、非東即西。沿習日久、遂以東西為貨物替身。

愚、此の語定めて東漢に起こるを以て、その時の都市の盛んなる、東西両京に侈陳(しちん)すれば、俗に「東に買う」「西に買う」といい、売買を言う者は東にあらざれば即ち西なり。沿習日に久しくして遂に東西を以て貨物の替身と為す。

おろか者(なるわたし)が思うには、この「東西を買う」という語は後漢の時代にできた言葉と考えられ、それを手がかりにすれば、その時代には巨大都市といえば東西の両京(東都・洛陽と西都・長安)において盛んに広がっていたわけで、当時は市場で物品を買ったというのを、俗に「東(の都)で買ってきた」「西(の都)で買ってきた」といったのである。交易・売買するのは、「東(の都)」でなければ「西(の都)」であったことから、長い間に、とうとう「東・西」というのが交易の対象となる物品、商品の代替用語となったのだ。

同じような例として、

知方言称主人貴東、敝東之類。着落東西二字、而不言南北可知。

知る、方言に「主人東を貴ぶ」「東を敝(ヘイ)とす」の類を称すことを。東西二字に着落して南北を言わざること知るべきなり。

地方では現代(←18世紀)でも「うちの主人は東(から来た物品)をありがたがる」「東(から来た物品)を軽蔑する」という言い方をするのをご存知であろう。「東西」の二字だけに落ち着いていて、「南北」と言わない理由は明らかである。

というのである。

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龔巣林「巣林筆談・続編」巻上より。

ものごとを批判的に見れる現代のチシキ人のみなさまならばいろいろ批判もできるのでしょうが、わしのような前近代者にはア)もイ)もまばゆいばかりに正しい学説のように見えてしようがありません。ああ、ありがたやありがたや。

ちなみに、わたくしの愛用する「増補・字源」(簡野道明大先生の)は、

東西は物の義、東西南北に産する所の物の義。

としており、諸橋「大漢和辞典」も「通雅」(明末の方以智の書)の説をとって、東西南北に産するものとしている。みんな南北が使われてないのはどうでもいいことにしてしまっているので、わたくしもどうでもよくなってきた。

 

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