平成22年1月22日(金)  目次へ  前回に戻る

嗚呼。

天下之治乱興亡、豈有常也哉。

天下の治乱興亡、あに常有らんや。

世の中の治まると乱れると、右肩上がりと右肩下がりと、これらには一定のルールがあるだろうか。

一つだけあるのである。

治而不乱者、吾未之聞也。興而不亡者、吾又未之聞也。

治まりて乱れざるものはわれいまだこれを聞かざるなり。興りて亡びざるものはわれまたいまだこれを聞かざるなり。

治まったまま乱れることが無かった体制のことを、わしは聞いたことがござらぬ。右肩上がりのままで下がってこない社会のこともまた、わしは聞いたことがござらぬ。

治まった体制は必ず乱れ、右肩上がりの社会は必ず衰え亡ぶのじゃ。

則亡国之君、不必獲罪於其祖先矣。

すなわち亡国の君、必ずしも罪をその祖先に獲ざるなり。

ということは、一つの体制が滅びたときの指導者は、(体制は必ず滅びるものなのだから)必ずしもその体制をかつて創設したひとたちから責任を問われるべきものではないのだ。

ではなにものの責任なのか。

まず「天下のひと」(人民大衆)である。人民が狂気に惑わされて良心を失うせいなのだ。

天下之人、為姦雄所煽動誑惑、而失其良心。変為矯激、流為譎詐、以醸成天下之乱。

天下の人、姦雄の煽動し誑惑するところとなり、その良心を失う。変じて矯激となり、流れて譎詐となり、以て天下の乱を醸成す。

人民大衆どもは、姦雄に煽動され、騙されて狂気に惑わされ、その良き心を失い、驕り高ぶるようになり、ウソ偽りを行うようになる。こうして社会は混乱しはじめるのだ。

人民が狂う原因は「姦雄」にある、ということである。

さてさて、「中庸」にこう書いてござるぞ。

正己而不求於人則無怨。上不怨天、下不尤人。故君子居易以俟命、小人行険以徼幸。

己を正して人に求めざればすなわち怨み無し。上は天を怨みず、下は人を尤めず。故に君子は易きに居りて以て命を俟ち、小人は険しきを行いて以て幸を徼(もと)む。

自分自身を正しくせよ。他のひとのせいにはするな。そうすれば何物にも不満を持たないでいられる。

天を見上げては天に不満を持たず、地を見渡しては人に責任を転嫁しない。

だから、よきひとは平坦で安全なところにじっとして、自分を必要とする時勢を待つことができる。一方、下らぬやつはわざわざ危険な行動をしながら、偶然の幸運を得ることを期待してしまうのだ。

さすがはいにしえの賢者のおっしゃっていることじゃ。

是則聖賢之旨也、是則防乱之道也。

これはすなわち聖賢の旨なり、これはすなわち防乱の道なり。

このことは、聖人や賢者のお教えくださった要点であり、このことは、乱れるのを防ぐ方法なのである。

―――ここまで読んで、肝冷斎は思いました。ああ、この文章の筆者が言うのは、ゲンダイのことであろうか。姦雄に煽動され狂気の中にその良心を失った天下の人とは、今これを書いているわたしではないのか、今これを読んでいる貴方ではないのか。われらは急いで「中庸」に記された賢者の教えを学ばなければ、ゲンダイの治まれる時代が崩壊してしまうのではないか! と。

・・・・と思ったのですが、筆者はこの後に続けて、

偶泰西史鑑訳成、観泰西諸国治乱興亡之迹。

たまたま泰西の史鑑を訳し成りて、泰西諸国の治乱興亡の迹を観ず。

最近ヨーロッパの歴史書を翻訳してようやく完成しました。そこでヨーロッパ諸国の治まれると乱れると、右肩上がりのときと滅びゆくのときと、その歴史を観察してみたのですじゃ。

「そうしたら、わたし、感ずるところがございまして、この書巻の最初に書きつけてみました。」

・・・・と書いておられました。

ああよかった。これは泰西(ヨーロッパ)史の本を編んだひとがヨーロッパの歴史に思うたことを書いたものでした。ゲンダイの日本のことを心配して書いたものでは無かったのです。姦雄に煽動されて狂気の中に良心を失ったのはボクやキミではなかったようで、ひと安心ですね(←勿論ヒニク)

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ちなみにこの文章は千葉県人・西村茂樹の明治六年「泰西史鑑序」より抄録いたしました。

明治新撰「小川先生編次 正続今世名家文抄」(明治十三年第二月 尚書堂)という和綴じ本を二千円で買ってきたので、これから少しづつ読んでいきますよ。ちなみに上引の文は正・巻上・序二十二首の中に入っていたもの。

そういえば、狂気というのは滅多に個人の中には存在しない、と(その滅多な例であるところの)ニーチェ大師がおっしゃっていた記憶がある。ではどこに存在するかというと、「運動に、組織に、党派に、そして時代に存在する」と。戒めねばならぬ。

 

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