平成22年1月4日(月)  目次へ  前回に戻る

本日は仕事はじめで会社がそれほど遅くならなかったので、帰り道に何となしに寄った古本屋で(赤ちょうちんに寄らぬところがこの時代のサラリーマンらしかろう)、にやにやしてしまいました。読者諸兄よ、誤るなかれ。エッチなるを見つけてにやにやしたのではないのである。

岩波文庫の

「訳文 逍遥遺稿  附原文」

を見つけたのである。

岩波文庫の緑帯(ということは明治以降の日本文学)唯一の漢詩文集として名高いが、平成5年ごろにちらりと復刊されたあとまた絶版になってしまったもの。350円で売っていたのである。にやにやするより無いであろう。

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逍遥・中野重太郎は伊予宇和島のひと、一高から帝大漢文科へと進んだが、在学中(※)の明治二十七年(1894)秋、日清戦争のさなか、栄達を望みつつ病を得て卒した。明治青年特有のロマンチシズムや功名心を、口語詩のいまだ完成せぬ時代に漢詩文に載せて歌った詩人である。「漢詩人」というより「近代詩人」である。その詩を口ずさむと、成島柳北の「漢詩」よりも土井晩翠の「新体詩」にはるかによく似ているように感じる。

※一応帝大は修了して、研究科というのに進んでいたそうです。

日本びとの詩文は明治以前のでないとJASRCがこわいので滅多に引用しておりませんが、「逍遥遺稿」ごときでさすがにここまでは追いかけてこないだろうと思うので、買ってきてまだ興奮している余勢をかりて中味を少し紹介します。(読み下しは必ずしも岩波文庫版に拠らなかった)

「豆州漫筆」

逍遥子、眼能慧、耳能敏、口能食、脚能健、而夢不安也。心不妥也。魂黯然而傷、形瞿然而痩。

逍遥子、眼はよく慧に、耳はよく敏に、口はよく食らい、脚はよく健なる、而して夢安んぜざるなり。心妥(やす)からざるなり。魂は黯然(あんぜん)として傷み、形は瞿然(くぜん)として痩す。

ボク、すなわち逍遥先生は、目はよく見えます。耳はよく聴こえます。口ではよくメシを食い、脚はよく歩くことができる。ところがどうしたことか、夢が安定しないのだ。心が休まらないのだ。精神は暗く傷つき、身体はがりがりに痩せてしまったのだ。

そこで、医者に相談した。

医者は言う、

「キミの六つの脈は花のように鼓動するが空っぽで力が無い、キミの百の骨節は消耗されてぐらぐらだ。しかしこれに対する薬は無く、この病を治療する術は無い。ただ、キミの精神を憩わせ、キミの夢を安んじさせれば、いくらかキミの生気を補うことができるだろう」

と。

ボクは色を為して反論したんだ。

拙医也。・・・非治之無術也、治之未得時也。

拙医なり。・・・これを治むるの術無きにあらず、これを治むるにいまだ時を得ざるなり。

「あなたはなんというやぶ医者なのか! ・・・ボクの病は治療する方法が無いのではない、まだ治療できる時が来ていないだけなのだ!」

肝冷斎注)そういえば、お医者でも草津の湯でも無く、「時(とき)グスリ」しか効かない病があったような・・・。

ボクは、ぷい、と帝都を去り、豆州にやってきたのである。

山水は目にうつる限り東京のものとは違う。

一駅遠一駅、一日重一日、奇山水、佳林園、益進而益新。

一駅に一駅遠く、一日は一日を重ね、奇なる山水、佳なる林園、ますます進みてますます新たなり。

一駅ごとに遠ざかり、毎日毎日過ぎ行けば、よそにはない不思議な山と水のかたち、すばらしい森と苑、行けば行くほど心洗われるばかり。

こうして甲午一月二日(明治二十七年、1894)、熱海の地に着いた。声をあげて讃えて曰く、

絶快境地、絶楽村浦、豈独結夢之処哉。逍遥子実有意中之人矣、春光蕩蕩、千金歳月。

絶快の境地、絶楽の村浦、あに独り夢を結ぶの処なるのみならんや。逍遥子、実に意中の人有るなり、春光蕩々として千金の歳月ぞ。

なんてステキな場所だろうか。なんて楽しい海辺の村だろうか。ここは、ボクひとりの夢が結ばれる約束の地であるだけではない。ボクの心の中にだけ住むあのひとと、春の光の中にとろとろと、一緒に夢を結ぶ千金に換えがたい日々であった。

翌月、体調もよくなったので東京を戻った。

だが、また魂は暗然とし形は痩せ衰えるばかり。

そこで医者のところに行き、

名医也。

名医なり。

「あなたはなんという名医なのか!

ボクが精神を憩わせ、夢を安んじさせれば、いくらか生気を補うことはできるけど、ボクの病を治すことはできないとわかっていのだから!」

医者は笑ってそれには答えず、

「キミの病はもう内臓を冒している。キミはどこかで長期間、心身を安んずるがいい」

と忠告したのであった云々。(以下略)

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夢。魂。不安。意中の人。

いかにも明治の詩、読み下せば北村透谷の評論を読むやうではありませぬか。

「意中の人」とは如何なるひとであつたか。

同年の「上毛漫筆」などによると、そのひとは上州出身の令嬢で、「南条貞」といい、前の年に死んだらしいのである。

ああ。

死んだのか。死んだのならしやうがないなあ。逍遥もこの年死にますので、テンゴクで仲良くなつてね。

しかし、このひとは実は死んだのではなくて、逍遥とのゴシップが沙汰される前に無理矢理別のひとに嫁させられたのだ、そのひとのその後は・・・ということ、故・入谷仙介大先生の超絶名著「近代文学としての明治漢詩」(研文出版1989)に精しく考察されてあるので興味あるひとはそちらをお読みください。

わたくしが中野逍遥を知ったのも実は同書に拠るのである。

 

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