こんなものか。

 

平成21年 6月 3日(水)  目次へ  昨日に戻る

ある晩、王玄之が会稽の町を散策していると、一人の涼しげな道士と出会った。

その人、はじめて会ったのであるが妙に懐かしく、またその挙措奥床しく、知るところ深い先達と知れたので、誘われるままに後に随って行った。

いつの間にか、玄之と道士は、町の西の郊外を流れる西江のほとりにいた。

見上げると、緑の空からは月光が降り注いでいる。

玄之は夢見るような心持であった。

道士から、

「さあ、こちらへどうぞ・・・」

と言われるままに彼は川の中に入って行ったのである。

すると、

月光中不見泥沙、水随歩自開。

月光中に泥沙を見ず、水は歩に随いて自ずから開く。

月の光のもと、汚らわしい泥も歩きにくい砂も無く、川水は彼の歩むに従って自ら分かれて通路を用意したのであった。

「ほう」

左右に碧い水の壁、頭上には緑の空に月が浮かぶ中を、彼は歩いて行った。

しばらく水中の道を歩んでいくと、道の傍らに長細い物があった。

道士はそれを指差して、

「さあ、これをご覧なさい」

と言うた。

玄之がそのモノを見るに、それは

如龍、又如蛇、長十丈許。

龍の如く、また蛇の如く、長さ十丈許りなり。

龍のようであり、またヘビのようであり、長さは十丈ぐらいであった。

六朝期の一丈は約2.4メートルである。

「これは?」

と問うに、道士答えて曰く、

此水母也、見者長生。

これ水母なり、見るもの長生す。

「これは水母というイキモノです。これを見たものは寿命が延びます」

「はあ」

何にしろ見たこともないものである。珍しいのでしばらく見つめていると、

「さて」

道士はおもむろに言った。

「これぐらい見れば十分でしょう。そろそろ戻りましょうか」

「え?」

と顔を上げた瞬間、王はいつの間にかただひとりで、川のほとりに立っていた。月光が緑の空から降り注ぎ、目の前をさっきまでその底にいたはずの西江が、とうとうと止まることなく流れていた。

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「王氏神仙伝」より。この本は唐末から五代ころの誰かが、「王」という姓のひとの関わる神仙譚を集めたものだ、ということですが、宋の至游居士・曾端伯の編んだ「類説」に所収される以外には伝わらないそうである。ということで、これも「類説」所収の一篇。

ところで、「晋書」(巻八十)を開くに、王羲之には七人の子があったそうであるが、

知名者五人。

名を知らるる者五人。

名前が伝わっているのは五人である。

その中で一番年長だったのが王玄之であったが、

玄之早卒。

玄之は早卒す。

玄之は早いうちに亡くなった。

ということになっている。

もちろん、「水母」をじっくりと見たのだから、若くして死ぬはずがない。おそらく死んだことにして、どこか余人に知られぬ地に去って行ったのであろう。

・・・以上。

結論としては、「水母」に読み仮名を付せ、と言われて「くらげ」と振るのはシロウト、ということだ。「クラムボン」と振るのもまた、容れられまい。

 

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