ニンゲン怖い。(↓とは何の関係もありません。)

 

平成21年 5月 3日(日)  目次へ  昨日に戻る

いわゆる「対聯」について、時空を超えて各地から報告が上がってきております。

@ 床屋

清の時代のチュウゴクには「薙髪店」というものがありました。「それはなんじゃ」というに、頭を剃ってくれるところである。理容店である。

福建・福州の薙髪店に「整容堂」という扁額のかかった店があり、この扁額の左右に対聯があった。

雖然毫末技芸、  然り、毫末の技芸と雖も、

却是頂上工夫。  却ってこれ、頂上の工夫なり。

そのとおり。細かな先っぽの技術でしかない。

しかしながら、てっぺんの一番上の工芸である。

「ほう」

わしは嘆声を上げた。

雖巧而不傷繊。

巧みといえども繊に傷まず。

「うまいな。しかし繊細すぎるというわけでもない」

・・・・・・・というのは、清末の梁茝隣さんからのご報告でした(「楹聯叢語」巻十二より)。理髪の技についてなかなか上手に表現しておりますね。

A      医者

明治の終わりに富士市に「杉浦医院」という町医者ができまして、その後七十年にわたって地域医療に貢献したという。

その杉浦医院の待合室に掛かっていた額を読むに、

指頭現鬼    指頭に鬼を現じ、

心底蔵仏    心底に仏を蔵す。

 指先には不思議を起こす精霊を出現させるぞ。

 心の底には衆生済度のみ仏が籠もっている。

医者の心構えらしいです。

町医者なので、待合は畳敷きで、隣の部屋が診察室になっておりました。覗いて見ると、いくら指先に精霊がいてゴッドハンド化しているとしても、こんなところで手術されたら痛そうだなあ、と思いました。

・・・・・・・というのは、わし(肝冷斎)の親しい友人である鬱々庵先生からのご報告でした(静岡県富士市立博物館屋外展示による。なお、鬱々庵は同日「東平遺跡竪穴住居」が火事で燃えたのを見物したらしい)。
↓証拠写真

 

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