平成21年12月27日(日)  目次へ  前回に戻る

←これは花火。○主党政権に腹の癇癪玉が破裂したのではありません。

小窗先生が肝冷斎に来ました。

「これはこれは、明末から遠い時空をようこそ・・・」

「末? 何を言っておるのか? 明王朝は永久に不滅じゃぞ」

まずい。時間旅行者に未来のことを教えるのはご法度である。

「あ、いや、その、「年末」といいましたので・・・」

「年末? まだ十一月だぞ?」

先生は旧暦で暮らしておられるのです。

ただし、わたくしは明帝国の正朔を奉じない日本国の民ですので、「暦が違うのでございます」と説明したら「ああそうか」で済みました。

せっかくですので、肝冷斎の上階にある「爆睡楼」にご案内して語り合った。

先生が(ほろ酔い気分で)いうたことより一つ二つ摘まんで記録する。

――遠いところに、和神国という国がありますんじゃ。(注:これは先生が勝手に想像している一種のユートピアらしい。「倭」国のことではないので念のため→修正あ

この国では、

地産大瓠、瓠中皆五穀、不種而食。

地には大瓠を産し、瓠中はみな五穀、種(う)えずして食らう。

産物として大きなひょうたんが(人手を入れなくても)実ります。このひょうたんの中にはコメ、ムギ、アワ、ヒエ、ソバの五種の穀物が入っている。だからひとびとは耕作の苦労なくしてたらふく食うことができる。

水泉皆如美酒、飲多不酔。

水泉はみな美酒の如く、飲むこと多くとも酔わず。

泉や川の水はすべて美酒のように甘い。しかし、大量に飲んでも酔ってしまうことがない。

(酩酊感が無い、と少しさびしい気もしますが・・・。)

気候常如深春、樹木皆彩糸、可為衣。

気候常に深春の如く、樹木はみな彩糸にして衣と為すべし。

気候はいつも春たけなわのようで、樹木はすべて色の糸から出来ており、織ったり紡いだりせずに、そのままひっかぶって衣服にすることができる。

「ほんとうに神仙の住む世界のようなのじゃ」

そして、先生は皮肉そうに笑いながら、

「もしかしたら、

世之不耕而食、不織而衣、不醸而飲者、或従此国中来。

世の耕さずして食らい、織らずして衣(き)、醸さずして飲む者は、あるいはこの国中より来たるか。

世界にいる、耕作もせずに食い、織る作業もせずに服を着、醸造の労働もせずに酒を飲んでいるやつら(ブルジョワジー、格差社会の勝者、あるいは金融資本主義の金融のやつら)は、実はこの国からこちら側の世界にやってきているやつらなのかも知れませんなあ」

少しく真顔になって、

「このこと、

切莫語自懶人、誤他飢寒大事。

切に自懶のひとに語るなかれ、他(かれ)の飢寒の大事を誤たん。

絶対に怠けぐせのあるやつに教えてはいけませんぞ。(そいつは「そんな国があるのなら、自分も働かなくていいや」と思い定めて、)そいつに飢え凍えるような生活をしないための大切なこと――労働をしないという誤った決断させてしまいますから。

つまり、わしのようになってしまいますぞ」

なるほど。

「それは大変困ったことですな」

とわしは頷いた。

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小窗先生の著書「小窗自紀」より(149則)。

ちなみに二日振りの更新ですが、昨日は「自懶人」の先生とともに早くから「爆睡楼」に昇り、今日の昼前まで楼にいたので更新ができなかったのです。

小窗先生は、明のひと。姓・名は呉従先字・寧野、小窗と号す。江蘇常州の生まれ。萬暦末年前後に活動した文人で、陳眉公などとも親交があった。北京・明王朝の滅亡(1644)以降も生きていたらしい。「小窗自紀」は彼の著わした清言集。萬暦年中に刊行され、同時代の文人たちに大きな影響を与えた、らしい。

ところで、我が国の三大ユートピアといえば

@    イーハトーブ(宮沢賢治先生)

A    ヨネザード(ますむらひろし先生)

B    イバラード(井上直久先生)

と決まっていると思っておりますが、決まってないかも知れません。なお、@の首都は「モリーオ」でそこからは「最大急行」がポラーノまで走っている。一国の首都は、我が国の東京(江戸)が大陸からの影響をできるだけ避けながら、太平洋海洋国家として在ろうという国家の意思を体現しているものであるように、容易に変えることはできません。天皇陛下に変える権限があるんでしたっけ。気の○った大臣が京都か広島、と会食の際に天皇陛下に言うたというて自らテレビで話している。どういう国ですか、この国は。

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ユートピアでなく「こちら側」にいるひとは、

宇宙雖寛、世途渺于鳥道。征逐日甚、人情浮比魚蛮。

宇宙寛なりといえども、世途鳥道よりも渺(びょう)たり。征逐日に甚だしく、人情は魚蛮に比して浮なり。

「鳥道」は鳥しか通えないような「険阻な山道」のこと、「渺」は発見しづらい、細かい。「魚蛮」は漁師のこと。「人情」は、自分も含めた人の心一般をさす。

世界は広いのに、世間を生きていく道は険しい山の道よりも細い。

富や名声を追い求める欲望は日に日に強まって行き、ひとびとの心は舟の上の漁師よりもふらふらと不安定だ。

ということになるのでございます。(148則)

「この言葉は、蘇東坡の「魚蛮子」(「漁師さん」)という五言詩を踏まえているのじゃ」

と小窗先生が言うので、その詩を読んでみます。

人間行路難、  人間(じんかん)の行路は難し、

踏地出賦租。  地を踏まば賦租を出だす。

不如魚蛮子、  魚蛮子の

駕浪浮空虚。  浪を駕し空虚に浮ぶにしかざるなり。

 われらの人生の道の険しさよ。

 なにしろどんなところに行っても、大地を踏めば税金をとられる。

 漁師が波浪の上で舟を操り、

 揺れ動く(水の上という)空虚な場所で生きている、その生き方のほうがよかろうものを。

もちろん、漁師さんも税金をとられる。とある総○大臣は払わないでいられるかも・・・さすがに払いましたが。

この詩は、本当に「漁師さんになりたい!」と読むのはオロカ者で、一定の何かにとらわれることなくいつも自由にある方が、不安定だが快い人生が送れるだろう、という重要な問題を暗喩している、と読まないといけないのでしょうネ。

 

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