平成21年11月5日(木)  目次へ  前回に戻る

イヤなことばかりの世の中、ほんとうにイヤでございます。

などと言うていると、

「イヤなら出てけ」

と、言うのだろうな。ふん。

出て行き方としては、次のような出て行き方もありますので、ご参考までに掲げておきますね。

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清初の康煕十年(1641)、この年の六月〜七月(旧暦である)、江南地方は一滴の雨も降らぬ日照りとなった。

水田は干上がり鳥や虫も寄りつかぬ。水を得るのが容易でないので、旅商人たちの行き来も絶えてしまった。

――これは放っておけば大きな災いになるぞ。

――なんとかせねば・・・。

と衆生済度の念にやまれず、立ち上がったひとたちがいる。

細林山の道士・曹耕雲さまというひとは、悪鬼を祓う力を持つという大きな黒犬をつねに従え、堂々たる美丈夫であったが、

以術自詡、築台高数丈。

術を以て自ら詡(ほこ)り、台の高さ数丈なるを築く。

自分の道術で何とかできるかも知れぬ、と大言なされ、高さ数丈(5〜6メートル)の築山を築かせた。

毎日、日中には飲食をせず、朝と昼と晩の三度、大地に力を与える歩き方で地面を踏みしめながら、印を結んでこの築山に登り、太陽に向かって激しい身振りで祈った。炎天下のこと、体はみるみるやつれ、髪はおどろに乱れて、半月もするともとの面影を失うほどであった。

六月の末日には多くのひとびとを集めて、

用黒犬磔。

黒犬を用いて磔す。

その台の上で、自らの使い魔の黒犬をはりつけて殺した。

その血を台上に撒き、はりつけた木とともに犬の死体を焼いて祈った。

・・・が、

日色愈熾。

日色いよいよ熾(さか)んとなれり。

太陽の輝きはかんかんとして、さらに増したかと見えた。

道士は、

――この祈りをも請けたまわぬか!

と叫ぶと、突然に咽喉から血を噴き出して倒れ、そのままこときれた。その気魄のすさまじかったことは、血がはるかに十丈ほども飛び散ったことから知れたという。

仏教者の中では、明願という僧侶、俗姓を田といい、東昌府の出身でとびきりの美男、また声明の声さわやかで人気があったが、彼が衆生のために己の身を捧げる覚悟で祈祷を行った。

その祈祷は六月の半ばからはじまり、大衆の見守る中、炎天下にずっと太陽に向かって跪き、

――必ずや六月中に雨降らせたまえ!

不飲不食、望空拝懇。

飲まず食らわず、空を望みて拝懇す。

(日中のみならず)一日中なにも飲み食いせず、ずっと太陽を見つめて日照りを止めるよう懇願したのである。

半日にして目はつぶれ、数日にして体は黒ずんでしまったが、その祈りを止めようとしなかった。

しかし、六月が過ぎても一滴の雨も降らぬ。

このひとは、七月のはじめに、腰に石を縛り付けると這って塘橋という橋の上まで行き、ひとびとの目前で

躍入跨塘橋河、自沈死。

塘橋に跨りて河に躍入し、自ら沈死せり。

塘橋の欄干にまたがるとそこから川に飛び込んで、自ら沈み死んだのである。

しかしながら、雨はその後さらに一月ばかり降らなかった。

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清・董蒼水先生「三岡識略」巻六より。

これほどの念力を以てしても降らないのに、一月後の八月(旧暦)には降ったのですから、止まない雨は無く、日照りもいつかは止むのだということがわかりますね。

 

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