肝冷斎観タマ記24−6(平成24年6月6日〜)  表紙へ戻る  観タマ記24−5に戻る

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平成24年6月6日(水)  表紙へ     
1815(2028)〜2115  QVCマリンフィールド
インターリーグ戦 千葉ロッテマリーンズ対横浜DeNAベイスターズ
横浜   100 000 001   2
千葉   000 030 00X   3
PL 西本  1B 原  2B 笠原  3B 山路

すさまじいまでの勇気を奮って、職場のみなさまのシゴト中にもかかわらず、出撃。
しかし、追いつかない程度の反撃! 結局は負けるけどちょっとだけ抵抗! というのが自分の人生を暗示しすぎていて、いつもイヤになってしまう、典型的なベイスターズの試合でございました。自○しないとね。

平成24年6月10日(日)  表紙へ     
1300(1335)〜1541  横須賀スタジアム
イースタン・リーグ 横浜DeNAベイスターズ対東京ヤクルトスワローズ戦
東京   000 000 000    0
横浜   000 050 00X    5
PL 山口  1B 山村裕  3B 岩下

朝、肌寒い梅雨の東北を旅立った。
新幹線の中で中公新書2160の「プロ野球復興史」を読む。正力と読売本社の確執を描いて銭売が一枚岩でなかったことを強調したいようであるが、鈴木惣太郎の日記をそのまま使うなど、バリバリの「読売史観」に気分悪くなる。p19に
(全米軍と闘った)全日本軍を母体に大日本野球倶楽部、のちの巨人軍が結成された。・・・
という記述が何気なくありますが、これは「読売史観」の第一テーゼですが、歴史的事実と違うんですけど。事実でないことをこれでもかこれでもかと書き続けて「正史」にしてしまう。これぞ彼らの常とう手段である。だいたい奥付見たら著者の山室寛之って銭売ジャイアンツ元代表やん。気分わりい。
・・・と、東京駅に着いて、その足で追浜へ。暑かった。房総にかかる雲はもう夏の姿、おまけに日差しがガンガンと当たり、ロックアイスを頭に当てての観戦となりました。
ベイスの投手リレーは山本省→清水直→大原→冨田。山本は6回無安打無失点、五回にはサード渡辺直の連続エラーで二死二三塁がありましたが抑えた。吉村4号、井手2号の2本の2ランも出た。
試合後、山下大ちゃん二軍監督の言では、吉村や渡辺直、梶谷は五回六回で降りてハマスタの一軍に合流しに行ったというので、わしもその後を追いかけることにした。

1800(1745)〜2115  横浜スタジアム
インターリーグ 横浜DeNAベイスターズ対東北楽天ゴールデンイーグルス戦
東北   010 100 000    2
横浜   000 100 05X    6
PL 栄村  1B 石山  2B 木内  3B 有隅

まだ暑さの残るハマスタに到着。と、内野席にどこかで見た人が。―――確かあのひとはこの人のような気が。大阪近鉄→東北楽天のファンとは聴いておりましたが、こんなところに観戦に来ているとは・・・。横にいるよく似た若いもんは息子さんであろうか。
試合開始前後、遠く東京湾の方から黒い雲が湧きだしていた。
試合始まって一時間もしないうちに雨が落ちてきた。昨日に引き続き雨天中止か・・・と思ったのですが、すぐに止みました。
東北楽天・釜田は七回1失点。横浜の三浦もふんばって2失点(いずれも8番小山に打たれたタイムリー。釜田勝負という判断もあったかと思うのですが・・・)。
・・・楽天が何とか握っているのかな、という試合の流れがふらふらし始めたのは七回表、先頭の釜田が自ら左翼線二塁打。鉄平送って一死三塁から、銀次、中村と凡打して追加点にならなかったところであろう。
釜田はその裏無失点に抑えたが、八回裏、楽天の小山が一死で四球のランナーを残し、ハウザーが筒香にも四球、金城に同点タイムリー。このとき、レフト鉄平がもう間に合わないホームに高投して、その間にランナーが三塁まで行ってしまった、のが痛かったように思います。続く藤田が前進守備の一二塁間を破って勝ち越し、さらに投手青山に代わったところで、鶴岡(ごとき)に右中間三塁打。二死後荒波の内野安打で鶴岡も帰ってこの回5点である。
あざやかな逆転勝ちであった。近くにいたベイスターズファンのカップルが、
「こんな勝ち試合観れるの今年最後かも知れない」
「でも明日も楽天戦でしょ」
と語り合っていたのが印象深い。

平成24年6月14日(木)  表紙へ     
1815(2024)〜2124  QVCマリンフィールド
インターリーグ戦 千葉ロッテマリーンズ対広島東洋カープ
広島   102 012 000   6
千葉   001 000 002   3
PL 川口  1B 渡田  2B 有隅  3B 工藤

勇気を奮って職場を出た。最近はみなわしの行き先を知っているのかも知れぬ。みな前にもまして軽蔑の目で見ている(ように感じる)。だが、それらをすべて振り切って海浜幕張へ。駅を降りた途端、激しい雷鳴のような音が聞えた。
マリンスタジアムで5回の裏の花火を打ち上げているのだ。
もう夏ですなあ。
しかし実際はマリンスタジアムは風も冷たく、うすら寒ささえ感じる気温でした。カープは主力が次々とケガで脱落したから、また小物ばかりのチームになってますねー。
東京駅で買ったにぎりめし美味かった。
にぎりめしが美味いといつもそうなるのですが、ふと、昭和26年2月の広島カープ存続のときのエピソード思い出した。思い出すたびに、わし自身の幼いころの何かの記憶と入り混じって、涙にじんでくる。
――――――運営経費はもちろん、選手への給料原資が底をついた広島野球倶楽部(当時のカープの運営本体。社団か何かだったと思う)は、池田勇人蔵相秘書官の大平正芳氏をまじえ、セリーグ常務の鈴木龍二(正力の走狗というべき両鈴木の一である)に球団の今後を相談。リーグを6球団にしたい鈴木は当時下関にあった大洋への吸収合併を提案した。
広島野球倶楽部は社員総会でこの提案を飲むことにしたが、最後に現場サイドの意見を聞くため、監督の石本秀一を呼んだ。石本は、当時のカープ選手の中で吸収合併で生き残れるのは二人か三人。彼らに野球をやらせてやりたい。また、ここで広島カープが存続を諦めたら、日本には二度と親会社を持たない市民球団は根付かないだろうと合併に反対する意志を熱弁した。
「では、どいうすればいいのか」
「わしに考えがある」
石本が口にしたのは、倶楽部による運営を諦め、市民からの募金で運営するという画期的、あるいは絶望的な提案であった。倶楽部側は譲歩し、石本にこのとき大阪にいた鈴木に吸収合併を断る旨説明に行かせる。
石本はあとを主将の白石に任せて大阪に出かけたが、やがて甲子園球場でのオープン戦に参加する刻限が来た。信じられないことだが、このとき、カープの合宿所には甲子園までのキップ代も食事代もない。
「ここで諦めたら、本当にやつらにつぶされてしまう。監督の努力も水の泡じゃ」
白石は選手たちに用具と残った米を担がせ、彼らを率いて午後零時発の急行安芸に乗りこむべく広島駅に向かった―――
白石は選手たちとともに改札の前に立って懇願した。
「広島カープの白石です。切符代は後でお返しします。どうか今度の急行に乗せて、甲子園まで行かせてください」
駅員たちは黙って敬礼し、キップを持たない彼らを通した。
選手たちが安芸号の空き席や通路に乗り込むと、その出発までの間に、その日のチュウゴク新聞の記事でカープの苦境を知った人民どもが次々とホームにかけつけ、小銭や食べ物を選手たちに手渡した。
白石も一人の老婆から
「白石さん、これ、食べてつかあさい」
と大きな握り飯をもらった。
昨日から何も食べていない。
白石は「ありがとうございます」と握り飯を押し戴き、動き始めた車両の中でそれをほおばる。三遊間の地獄谷、とうたわれた逆シングルの名手の頬には、そのときいくすじもの涙が流れたというーーー。
・・・・・何度も読んだエピソードですが、これ読んで泣かないやつは野球ファンじゃないよねー。「巨人ファン」とか「阪神ファン」という野球ファンとは関係無いひとたちは知らないけど。
ちなみに、その翌日のオープン戦(対巨人戦)にカープはぼろ負けしております。また、連盟側(鈴木側)は石本の懇願にカープの存続を許可したが、代わりに、今年(昭和26年度)勝率3割を切ったチームを大洋と合併させる、という方針を宣言した。カープ狙い撃ちである。結局、このワナにはまったのは前年優勝の松竹で、翌年から洋松ロビンスになってしまうのでありますが、これはこれで銭売のライバルチームを抹殺できた鈴木らにとっては意想外の好結果であったろう。
昭和27年からは、セリーグにライバルの無くなった「巨人軍」の、いわゆる「戦後第一期黄金時代」が始まるのである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・云々。

平成24年6月16日(土)  表紙へ     
1400(1344)〜1627  西武ドーム球場
インターリーグ戦 埼玉西武ライオンズ対広島東洋カープ
広島   000 000 221    5
埼玉   020 004 00X    6
PL 村山  1B 津川  2B 栄村  3B 渡田

始球式は具志堅用行氏。
六回二死まで牧田がパーフェクト。その裏の4点で試合決まった!と思ったのですが、終わってみれば一点差。八回、無死満塁からの梵の三ゴロ(5−5−4の併殺)が後10センチ左にずれていれば一気に同点だったかも知れなかった――と考えると、@西武は盗塁、スクイズなど試合巧者みたいな試合した。A広島打線に勢いがありますね。B二回の炭谷のスクイズに警戒を怠ったり、六回の手痛いパスボール(ワイルドピッチじゃないよ)など、カープのベテラン倉捕手のミスが目立った、C六回のカープの継投の遅れなどが目立った。
試合終了後、すごい頭痛くなってきた。とりあえず常備のバファリン飲む。

平成24年6月17日(日)  表紙へ     
1301(1243)〜1706  西武ドーム球場
インターリーグ戦 埼玉西武ライオンズ対広島東洋カープ
広島   100 004 240   11
埼玉   000 004 000    4
PL 柳田  1B 橋本  2B 津川  3B 栄村

頭痛がひどいんです。今日は休ませていただこうかと思ったが、連続投与中のバファリンがちょっと効いたので西武ドームへ。
試合前の「一打席対決」は東尾修氏と山本浩二氏。たいへんな声援でした。1B2Sから三塁線ぼてぼての二塁打。
試合開始初球をカープ天谷がライトスタンドへ先頭打者ホームラン。そこからは両投手ピンチの連続で、特に西武の三回一死満塁、四回一死三塁、カープの四回無死満塁は何で点にならんのか不思議でした。五回までで2時間かかった。
六回表、岸がつかまり石井タクのタイムリーなどで4失点。ところがその裏、交代した岸本が四球→二塁打→四球で一点失って無死一二塁の状況を作り、中田が二死はとるものの四球やら暴投やら中島のタイムリーやらでまた一点差。
しかし七回の十亀、八回の岡本篤ら「俺達」が試合をぶち壊しました。ちなみに八回の堂林の右中間へのホームランはすばらしかったな。美しかったです。
試合後、頭痛がどんどんひどくなってまいりました。明日会社に行けるはずあらへん。

平成24年6月20日(水)  表紙へ     
1800(1955)〜2100  明治神宮外苑野球場
インターリーグ 東京ヤクルトスワローズ対千葉ロッテマリーンズ戦
千葉   100 012 101    6
東京   000 000 000    0
PL 不明  1B 不明  2B 不明  3B 不明

台風が過ぎて今日の昼間は「高温注意報」が出ていましたが、夜はちょっと湿った風が吹き、まずまずの良宵でした。
これで交流戦も終わりですわ。さびしい。またリーグ戦の閉塞の日々が来る。
ジャイHARA監督の不祥事の情報が入ってきたが、女性関係ぐらいはええやん。・・・あ、暴力団に大金を渡してたのか。これは、HARAさんも北海道送りか?

平成24年6月23日(土)  表紙へ     
1300(1355)〜1646  鎌ヶ谷ファイターズスタジアム
イースタン・リーグ 北海道日本ハムファイターズ対銭売ジャイアンツ戦
銭売    000 020 101    4
北海道  000 241 01X    8
PL 大和  1B 小椋   3B 長井

新鎌ヶ谷の駅から歩いたら、地図も無いので無駄足踏んだり、さすがに一時間以上かかってしまった。到着したときには四回表、このスピードだと二時間半ゲームかな、と思いましたが、四回裏から長い試合になりました。銭は星野とか辻内とか林とか本来将来あるものとして大切に育てなければならない投手が次々とボコられておりました。このチームの「育成」は単なる「非常に倍率の高い競争」だから、あたら才能が切磋琢磨するうちに擦り切れて行くのが哀しい感あり。銭側で一人声をあげて応援していたひと、すばらしい声で心底尊敬しますわ。こんな恵まれない選手たちのためにありがとう。
ハムの若いもんは成長しとんのかどうかもよくわからんがじわじわと成長しているのでしょう。ネット裏三塁側寄りでいつも知ったふうなヤジを飛ばしているおじさん(おじいさん?)たちの近くで見ましたが、おじさんたちは頭からしか入ってないので、「3−1から打つ」ということがいけないことらしいんだ。ちょっと思想違う。結果論ばっかり言っているし。
なお、五回裏にラジオ体操をやるので一緒にやったらそのあと肩と背中が痛くてかないません。

平成24年6月24日(日)  表紙へ     
1300(1240)〜1611  伊勢市営倉田山球場
関西独立リーグ 大和侍レッズ対06ブルズ戦
06   210 200 010    6
大和  100 001 50X    7
PL 不明  1B 不明(審判部長)  2B 不明  3B 不明

3つの独立リーグの中で、最もレベルが低い、とされている関西独立リーグですが、いまだ見たことがなかったので、見てまいりました。
今日は昨年末に解散した三重スリーアローズ(アイランドリーグ所属)の選手で両チームに流れたやつらの「凱旋試合」という名目で開催でしたが、七回、スリーアローズから06に流れた洪が、同じく大和に流れた一平(美濃)に逆転満塁ホームランを放り込まれた。「デキ過ぎ」の試合。まあ、狙ってホームラン打てるような選手がいるわけではないので、よくデキた試合。
試合展開はたいへんおもしろく、三時間あっという間でしたが、とにかく四球が多いのと内野ゴロで併殺がとれないのが見ててツラいですね。
なお、倉田山球場は、1930〜40年代に活躍した同市(当時は宇治山田市)が生んだ二人の好投手、西村幸夫と澤村栄治の胸像が向かい立つユイショある球場です(鈴木惣太郎記念伊勢崎球場なんかよりずっとユイショあるわけです)が、胸像の質が悪いのと、清涼飲料水の自動販売機も無いのはどうにかしてほしい。

平成24年6月26日(火)  表紙へ     
1800(2015)〜2054  東京ドーム球場
パシフィック・リーグ 北海道日本ハムファイターズ対東北楽天ゴールデンイーグルス戦
東北    200 000 000    2
北海道  000 001 000    1
PL 石山  1B 本田  2B 笠原 3B 橋本

しごとうまいこと行かんなあ、と思いながらも逃げるように東京ドームへ。
到着時七回裏二死でしたが、結局楽天10安打2点(初回の)、ぽんはむ1安打1点、の何とも言いずらい「沈滞」感のあるゲームでした。

平成24年6月28日(木)  表紙へ     
1800(2005)〜2101  東京ドーム球場
パシフィック・リーグ北海道日本ハムファイターズ対東北楽天ゴールデンイーグルス戦
東北    000 110 010    3
北海道  022 000 12X    7
PL 笠原  1B 石山  2B 西本  3B 山口

昨日の夜から、肩から背中にかけて痛いんです。ぎっくり肩みたいな感じ。人に呼ばれても振り向けないんです。
ファウルボール飛んできたら見上げることも避けることもできまいよ、と怖ろしいことであったが東京ドームに来た。ぽんはむが完勝した。八回表に楽天岩村が代打に出て、そのまま守備についたので、岩村=松井カズの三遊間になった。これは貴重な見ものじゃった。

平成24年6月29日(金)  表紙へ     
1800(1944)〜2143  明治神宮外苑野球場
セントラル・リーグ 東京ヤクルトスワローズ対阪神タイガース戦
阪神   041 010 000    6
東京   000 310 21X    7
PL 不明  1B 不明  2B 不明  3B 不明

これは面白い試合でしたよ。スワローズが3本のホームランなどで五点差をひっくり返したのであるが、その流れを作ったのは七回表一死一二塁からの粗い兄の右中間への当たりを勇気を持ってダイビングキャッチしたセンター・ミレッジの大ファインプレーであった。それでも七回裏は一死一三塁からディレードスクイズが不発だったりまだ流れはほんの少しタイガースにのこっていたのでうが、八回裏一死無走者・打者バレンティンの時、この回から登板した福原が腰を痛めたらしく、3−0で降板してしまったところで、均衡していた「勝負の秤」がついに一方に傾きまして、代走・比屋根の二盗・三盗、前進守備のセカンド平野が代打・藤本の二ゴロを弾いて決勝エラーになってしまった。
繰り返しますが、ミレッジのファインプレー。ランナーがいるところでの外野手のあのプレーが、如何に勇気がいることか。実際に、五回表には藤井の右前の飛球にバレンティンが飛びついて、グラブに当てながら二塁打にしてしまい、一走。粗い良太がホームインしてしまうというのもあったのだ。ひるむことなく突入したミレッジかっこいい。冒険だという人もこの世にはいるが、冒険をせずに手に入れられるものにどれほどの価値があるのか。ミレッジは久しぶりでおれを熱くさせてくれたぜ。
ちなみにスワローズ中村選手プロ初本塁打、山本哲投手プロ初勝利。

平成24年6月30日(土)  表紙へ     
1400(1430)〜1711  横須賀スタジアム
イースタン・リーグ 横浜DeNAベイスターズ対埼玉西武ライオンズ戦
埼玉   002 010 101    5
横浜   021 000 000    3
PL 原   1B 山口  2B 長井  3B 市川

あちー。真夏の追浜、かき氷二つ食う。藤田(太陽)やマイケルはまずまずでしたが、3回2失点の清水直とかこれからどうするのかね。まあ、守備が一軍レベルならさすがにこんな失点はしないでしょうけど。途中出場の嶋は右邪犠飛と死球。
横須賀スタジアムは、昼間の太陽がセンターから見てホーム方向から照りつけます。センターは飛球(特にライナー)を追うときには注意しなければなりません。そのため、途中出場のセンター啓二朗に、レフトの井手正太郎が、雲の間から太陽が出るたびに、
「太陽!」
「ほら、太陽!」
と声をかけ、啓二朗がその都度、
「はい!」
「はい、出ました!」
と答えていたのがおかしく思われましたざます。観衆1,030人。

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