平成20年10月Bの大先生

今週からは宋元明清の儒学大好きの虎隠居が登場だ。

10月25日(土)  目次に戻る

○程伊川

今日はひとつのことについて完全に理解すべきである。明日はまた別のひとつのことについて完全に理解すべきである。積み重ね復習して理解したことをどんどん多くしていく。その後で、すぽん、と抜け出るように全体を貫くことがわかってくるものじゃ。

須是今日格一件、明日格一件、積習既多、然後脱然有貫通処。

すべからくこれ、今日一件を格(いた)し、明日一件を格し、積習既に多く、しかる後脱然として貫通する処有り。

大先生曰く、程氏兄弟の弟の伊川先生(1033〜1107)は「春風和気」のごとしといわれた兄貴と違って「秋霜烈日」のごとき厳しいおやじであった。この言葉は「大学」の「格物致知」(朱子によれば「物を格(いた)して知を致す」)という有名な一文について、弟子のひとりが、

先生、「物を格す」というのは、あらゆる物について一つ一つその究極を極めて理解しなければならないのですか(。そうだとすると一生の間に、知を致すまで到達するのは無理だと思います)。それとも一つの物について完全に理解したら、他のこともすべて理解できるようになる、というものなのでしょうか。

と問うたとき、伊川先生が答えたもの。

どうしてすべてのものが便利なことに通じ合っていることがあろうか。一つの物を理解すればすべての「理」が理解できる、などということは、(孔子の弟子であり吾らが目標とする学問者・)顔回でさえできるはずがない。よいか・・・

の続きが、上述の「須是今日格一件・・・」という言葉でがお。

肝冷斎曰く、既に明の大儒・劉蕺山が指摘しているように、この言葉は、弟子の

・本を読んでいて意味がわからなかったとき

・歴史上の人物について評価するとき

・なんらかの事件に遭遇してその処理について考えるとき

にどうすればいいのか、という疑問について答えたもので、あらゆることに引き当てるべきではない、と思われます。しかし、この言葉が有名になってからは、「脱然貫通」を求めて学問するひとが多くなってしまった。「ああ、そういうことだったか!」と分かる瞬間は多くありますが、そこで学問が終わりというわけではないので、注意せねばなりませんね。

朱子は頭がいいから、「轄然貫通」と言い換えています。「轄」(カツ)はもともと「くさび」のことですから、

「くさびを打って、だんだんと広げた割れ目がついに割れたように、すっきりと分かる」

という感じで、こちらの方が、努力によって漸進していく過程が強調されておりますね。

 

10月24日(金)  目次に戻る

○程明道

わしの学問は周濂渓先生をはじめ多くの先人の教えを受けたものであるのだが、「天理」の二文字に関する部分は、自分自身の体得しひねり出したものであるぞ。

吾学雖有所受、天理二字、却是自家体貼出来。

吾が学は受くるところありといえども、「天理」二字はかえってこれ、自家体貼(たいちょう)して出だし来たるなり。

大先生曰く、周濂渓が学を伝えたという二程子(二人の程先生)のうち、兄貴の明道先生(1032〜1085)のお言葉じゃ。明道先生は理詰めの弟・伊川先生に比して、理屈だけではないニンゲンの温かみを大切にしたひとで、それが「人欲」に対する「天理」なのじゃ。儒学の正統は本当はそのようなところにあるのであろうと思われる。

肝冷斎曰く、これは明道先生の高弟(明道の死後は伊川先生の弟子)の謝上蔡がメモしていたことばだそうです。謝上蔡先生は官僚としては失敗してしまったひとですが、直観的な「仁」を大切にし、陸象山や王陽明などにつながる重要な思想家ですね。また後で出てくるといいのですが・・・。

 

10月22日(水)  目次に戻る

○周濂渓

顔回と仲尼が(論語の中で)「楽しい、楽しい」と言っているが、いったい何が楽しかったのか、考えてみなされ。ふほほほ。

顔子・仲尼楽処、所楽何事。

顔子・仲尼の楽しむところ、その楽しむところは何事ぞや。

大先生曰く、北宋の大儒、程明道・程伊川の兄弟が周濂渓(1017〜73)の教えを受けていたとき、いつも濂渓先生は、論語の中の

孔子がおっしゃった。「賢なるかな、我が高弟の顔回は。食べ物は竹の器に一盛りするしかなく、あとは瓢箪一個に汲んだ水を飲むだけ。住まうのは狭く汚い小路の家。他のひとはみなそれを嫌がるが、顔回はそんな生活をしていても、それを楽しいと感じ、その楽しみを止めなかった。賢なるかな、顔回は」

という言葉(雍也篇)をもとにして、上記のように

「顔回が止めなかった楽しみとはどのようなものであったろうか、孔子がそれを褒めたのはどうしてであろうか」

と質問し、二人に考えさせた、という。

みなも考えてみればいいのでがお。(程伊川に「顔子好学論」(顔子はいったいどのような学問を楽しんだのかについて論ずる)という論文があるので、参考にしてもよいが)

肝冷斎曰く、これは「伊洛淵源録」より引いたもので、もともとは程氏兄弟の高弟・呂大臨が先生たちから聞いたこと、として伝えている言葉ですね。わたしは、この言葉で、弟子の顔回を「顔子」(顔先生)と呼び、先生で聖人の孔子の方をそのあざなである「仲尼」で呼んでいるのが以前から不思議でならないのですが、誰か教えてくだされ。

 

10月21日(火)  目次に戻る

○陸象山「与趙詠道」

宇宙に詰まっているのは、ただ一つの「理」(ことわり)というものなのである。学問者が学ぶ理由は、この「理」を理解しようとするためにほかならない。

塞宇宙一理耳。学者之所以学、欲明此理耳。

宇宙に塞がるは一理のみ。学者の学ぶゆえんは、この理を明らかにせんと欲するのみ。

大先生曰く、「王陽明の先駆者」、「朱子の最大の論敵」というふうにいわれる南宋の大儒・陸象山(1139〜1192)のかっこいい言葉でがお。おまえさんたちにはこれから近世の儒者をご紹介していくが、それは宇宙に充塞する「理」を学ぶためであるのじゃ。いにしえの聖人・賢者も、今この時代に生きるおまえさんたちも、この「理」の中に漬されて生きていることを、まず観想してみなされ。

肝冷斎曰く、朱子が何でもかんでも二つに分けて分析しようとするのに対して、同時代の陸象山は「理」でも「気」でも何でもいいから「この世のことは一つになってるの!」と言い続けたひとですよね。二人の家族関係とか比較するとおもしろいのですが、それはまたいつか。

 

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