東方小説第十九話
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呉翁 (宋・洪容斎「夷堅志」)



首都・臨安市中の瓦市に凍魚(魚のヒモノ)を売る呉というじじい(呉翁)がいた。息子とそのヨメと同居していたのですが、この夫婦には長くコドモがなかったのだが、十年以上を過ぎてようやく女の子ができた。

美しい子は早く召される、やも知れぬ。

とて、その子は「醜児」と名づけられ、両親もかわいがったが、それよりも呉翁はひとかたならずこの孫娘をかわいがっていたという。

「瓦市」(ガシ)は、宋代に発達した、歓楽施設を中心として各種商店が集まった地域のこと。チュウゴクの都市は、唐代までは「城坊制」といいまして(我が国の平安京の基本設計がそうであったように)大路と大路で区切られた街区が、それぞれ塀と門で囲まれていました。これを「坊」といいまして、要するに、「城」(都市)というのは、この独立した多数の「坊」の集合体だったわけです。「坊」は、夜の一定時間になりますと門を閉じてしまいましたので、夜中の大路には特別な用務のあるひとたち(見回りの兵士とか、もののけとか)しか通らなかったわけです。この「城坊制」が唐末から五代にかけて崩壊しまして、宋代以降、新しい都市の形が現れてまいります。「清明上河図」(北宋)とか見ていただくと、この時代の都市が視覚的にイメージできますので、どこかで探して見てください。

さて、商店というのは、前代までは、特定の産物を商う店は都市内の一つの「坊」に集まっている、という約束になっていたのですが、坊制が崩れるとともに、歓楽施設(妓楼)のまわりに各種商店が集まりはじめます。こうやってできたのが「瓦市」で、少なくとも北宋の首都・開封や、南宋の首都(臨時)・臨安の瓦市は、二十四時間都市でした。「瓦市」の存在は、それ以前の時代にはありえなかった都市風景だったのです。

 

やがて呉翁は亡くなりました。

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時移り、淳煕二年(1175)春三月のこと。呉翁の息子のヨメが洗濯していると、呼ぶ声がする。振り向くと、呉翁がいた。

「ああ、じいちゃんかい・・・」

と思って気がついた。呉翁が亡くなってから既に九年が経っていたはずなのである。

「あ、あ、あ・・・」

翁は委細構わず、

小乙何在。

小乙いずこに在りや。

「小乙は(ムスコの名前らしい)はどこにおる?」

と訊ねたのであった。ヨメは手をあげて市場の方を指差しながら、

「あ、あ、あっち・・・。市で魚を売りに・・・」

翁曰く、

我今在湖州市第三閘辺做経紀。将汝治魚刀来。

我は今、湖州市第三閘の辺にて経紀をなす。汝の治魚刀を将ち来たれ。

「わしは今、湖州の町の市の、運河の第三閘門のあたりで仲買商の仕事をしておってな・・・。そうそう、おまえの魚をさばく包丁を持ってきてくれんか。(それをもらいに来たんじゃ)」

ヨメは言われるままに持ってきて、治魚刀を渡した。

それから、醜児の居場所を聞くので、そちらの方を指さした。

翁呼其名、随仆不省、翁亦不見矣。

翁その名を呼ぶに、随いて仆れて省せず、翁また見えず。

じいさんがそちらの方を向いてその名前を呼ぶと、それに応じて醜児は倒れ、そのまま意識を失った。するとじいさんもかき消すように見えなくなってしまった。

急喚夫帰、醜児已死。

急に夫を喚び帰らせるも、醜児すでに死せり。

すぐ夫を呼んできたが、娘の醜児はすでに死んでいたのであった。

じいさんは九年前に、臨安徳寿門外の墓地に葬られていた。夫婦は娘もその側に葬ったのであったが、呉(ムスコの方)は、葬儀を終えた後、どうしても気になって、呉翁(の霊?)が今仕事しているという「湖州市第三閘」に行ってみることにした。

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ムスメの葬儀から三日ほど後、呉は、湖州の町の北部にある第三閘のあたりに現れた。特に手がかりがあるわけでもないので、近くの茶店(茶肆)に入り、ばあさんに訊ねてみる。

有呉翁否。

呉翁有や否や。

「呉じいさん、というひとが、このへんにいませんかね。」

九年も前に死んだひとがいるはずはないのである。ほとんど回答など期待していない質問であった。しかし、ばばあは答えた。

今日不来。

今日は来たらず。

「今日は来ていないねえ。」

そして、店の前の、涼棚(筵などを屋根にして日陰を作り、その下に座る場所を設けた場所)を指差して、

「いつもはその涼棚の大きな紙の傘の下に座っていなさるんだよ」

と言ったのであった。

「いつも・・・?」

「大体毎日来て魚を売っているね。数日前から十歳ぐらいの女の子を連れてきているよ」

「お、女の子を、ですか・・・」

「そうだよ。昨日はわたしと呉じいさんとでその子の髪の毛を梳いてやったんだよ。」

呉はついにばあさんに懇願するように言った。

「呉じいさんの家を知りませんか。わたしは怪しいものではない。じいさんの親族のものです。」

ばあさんは困ったように答えた。

「そういやあ、どこに住んでいるかって聞いたことがないのだよ。ただ、毎日、朝方にやってきて、お昼までに商売を終えて帰っていくんだよね」

「・・・・・・・」

呉は茫然としてふらふらと帰路についたが、その間に日が暮れてしまった。日が暮れると、湖州の城門は閉ざされてしまう。呉はしかたなく同業者の鄭二のところに泊めてもらった。

鄭二は、呉があんまりしょんぼりしているので、一体どうしたのかと問うた。呉は、いきさつを語り、

不覚泪下。

覚えず泪下れり。

ついつい、泣いてしまった。

鄭は、驚いたようであったが、呉の肩をつかむと、

世間安有是理。汝且寛省。莫成狂痴。

世間いずくんぞこの理あらんや。汝、しばらく寛省せよ。狂痴なすなかれ。

「この世の中にどうしてそんなことが起こりうるんじゃ? おまえ、少しゆっくり考えろ。(ムスメが亡くなってたいへんなのはわかるが)おかしなことをするんじゃないぞ」

呉はうなずいた。

うなずいたものの、翌朝、また茶店に行った。そうしたところ・・・。

明旦、復詣茶肆、少焉、望見翁。首戴一盔、左手携醜児。醜児挟三脚木架来。呉趨出叫翁、翁不答、即携女去。呉起逐之、行急則翁亦急、行緩則翁亦緩、常相隔十歩許。

明旦、また茶肆に詣で、少焉、翁を望見す。首に一盔を戴き、左手に醜児を携う。醜児、三脚木架を挟み来る。呉、趨出して翁を叫(よ)ぶも翁答えず、即ち女を携えて去る。呉、起ちてこれを逐(お)うに、行くこと急なればすなわち翁また急、行くこと緩やかなればすなわち翁また緩やかにして、常に相隔てること十歩ばかりなり。

翌朝、また茶店を訪ねて行った。しばらくすると、遠くにじいさんが見えた。アタマにカブトのようなかぶりものをかぶり、左手で孫の醜児の手を引いている。醜児は、三脚の木の脚立を抱えていた。呉は、走り出て翁に声をかけたが、翁は答えず、すぐに女の子を連れてどこかに行ってしまおうとする。呉は、茶店を出て二人を追いかけた。しかし、速く歩いて追いかけると翁たちも速く歩き、歩を緩めると翁たちも歩を緩めるので、どこまで行っても十歩ぐらいの距離が縮まらないのだ。

(ここは、名文だと思います。)

追いかけているうちに、軍人が隊伍を組んで糧秣を運搬する列に前途をさえぎられ、翁とムスメの姿を見失ってしまった。

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呉はこの後一度家に帰り、妻を連れてまた湖州の茶店を訪れた。

茶店のばあさんは、言った。

「呉翁に話したところ、あなたは呉翁の息子なんだそうですね。でも、呉翁はあなたがお見えになったことをタイヘンご立腹していましたよ。理由はおっしゃいませんでしたが、お会いになる気はなさそうでしたぞ」

それでも待っているとやはり二人の姿を見かけることができ、今度は夫婦で追いかけたのだが、また十数歩の距離が縮まらず、声をかけることができなかった。

二人がしょんぼりと帰ってくると、近所のひとは、心配して言った。

汝只為一女故如此、安得死人能出売物。宜一切割断、勿復為念。

なんじ、ただ一女のための故にかくの如きも、いずくんぞ死人のよく売物を出だすことを得んや。よろしく一切割断し、また念を為すなかれ。

「あなたがたは、一人娘が亡くなったから、こんなふうに思い込んでいるのでしょうけど、どうして死んだひとがモノを売ることができるんですか。いいですか、もう絶対に思い切ってしまいなさいね。またそんなことを考えるんじゃありませんよ。」

呉はそのコトバを肯い、しばらく翁とムスメのことは言わなかった。

ところが、数ヶ月したある日、呉がまた商売に行っている間に、ひとりの軍卒が呉の家を訪ねてきた。ヨメが対応すると、

「自分は龍山の白塔のほとりに駐屯している部隊の者でありますが、本日、部隊長の御用で臨安の街にまいりました。出かけてくる際、近くに住んでいてわたしどもの部隊にも品物を入れていただいております干魚屋の呉翁から、臨安に行くならムスコの家に寄って、孫ムスメの気に入りの青い服と紅い靴を預かってきて欲しい、と言われましたので、こちらに寄った次第です。」

というのである。

青い服と紅い靴は、確かに醜児が生きていたころの気に入りの品であった。棄てるにも人に遣ってしまうにも忍びず、まだ家に置いてある。ヨメは夫が帰ってくるまで待ってくれないか、と頼んだが、軍卒は

「もともと軍の用で参っておりますので、お待ちしているわけにはいきません。お預かりできないならそのように翁に伝えるだけです」

といって去って行ってしまった。

軍卒が出ていくと、しばらくして、呉が帰ってきた。

呉はヨメから話しを聞き、再び意を決して妻と二人で龍山に向かった。龍山の小隊の駐屯所に赴くと昨日の兵卒がおり、ねんごろに礼を言ったあと、その案内で翁の住処に案内してもらった。

翁は張という林業家の家に部屋を借りているという。張は一室を指して、

「翁は、ここに泊まっておられます。今日はマゴムスメの衣服をとりに行くんだ、とおっしゃって、二人で臨安の街に出かけられたはずですよ」

と教えてくれた。

そこで教えられた道筋を追いかけて行くと、浄慈寺の前を通る道であった(このあたり、臨安の地理を知っているひとなら、ああ、あの道か、とわかるような道筋だったのであろう)。お寺の前では、紙で作ったカブトを売っている男がいた。呉のよく知った男なので、

「老人と孫ぐらいの娘が通らなかったか」

と訊ねると、その男はにこにこしながら、

「さきほど一老翁と一小女が来て、娘さんが紙のカブトを欲しがったので売ってやったところです。半里(二百メートル)も行ってないところでしょう」

と教えてくれた。

夫婦は大急ぎで後を追いかけたのであったが、とうとう見つけることができず、臨安の街に入り、自宅に帰ってきてしまった。

 

近所のひとたちはいろいろ慰めた上で、(土葬した)二人の骨を焼いてしまってはどうか、と助言してくれた。そうすると、おかしなことは起こらなくなるのではないか、というのである。呉は、その言葉に従ってみる気になり、

啓瘞視之、唯存両空棺、翁女之尸皆無矣。

瘞(うず)めしところを啓いてこれを視るに、ただ両(ふた)つの空棺を存するのみにして、翁・女の尸(しかばね)はみな無し。

二人を埋めたところを掘り起こして見たところ、二つの空っぽの棺が残っていただけで、二人の死体はカゲもカタチも無くなっていた。

ただし、

其後影響遂滅。

その後、影響ついに滅す。

それ以降は、二度と不思議なことは起こらなかった。

 

訳者曰:
というおハナシでした。ちょっと長かったですか。「瓦市」だとか茶肆だとか城門が夜になると閉まる、とか、同業者ギルドの家には泊まれる、とか、近世初頭の宋代の産業社会の風俗が案外細やかに描かれていて、この一篇はなかなか勉強になるです。
それだけでなく、物語としてもよくできていて、最後の方の紙の「カブト」(原文の「盔」(カイ))など、小道具としてまことにうまく使われているし、そしてどうしようもない肉親の情と、背後に暗示される不可思議なこの世の法則のようなもの、が不安でも納得でも恐怖でも諦念でも無い、あたたかな何かを感じさせて、わたしは名作だと思っているのですが、諸姉諸兄におかれては如何。(平成18年10月29日〜31日の日録より)

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