フィールドワーク録21−1 別録(起:令和2年1月11・12日)  目次へ  令和2年1月2日〜へ

南海大調査(阿南〜室戸篇)  

南海大調査の一環として、今回は、徳島南部を視察した。

〇潮岬南方を通過中。補陀落船に乗せてもらったんです。

観音浄土に行くひとたちと一緒に南海に出かけたのだが、「なんじいまだ現世にあるべき因縁なり」と、ひとり阿波におろされたのであった。

補陀落船の上。

〇津峰神社 ・・・ 賀志波比売(かしわひめ)を祀る。橘湾、淡路島が一望できる。式内社。賀志波比売は「天照大神」の幼名であり、山麓の見能林駅近くにその生地があるという。

拝殿。

橘湾を見下ろす。左手の方が天照大神誕生の地という小門(おど)がある。右のえんとつが立っているのは小勝島で、回天の基地が作られていた。

この神社周辺はいわゆるイワクラとなっており、周辺に五つの岩窟がある。一応まわれますが、足腰痛くなりますよ。

神明窟

神明窟です。不動明王が祀られている。

巾着窟

家具窟 ・・・ この中からお膳やお椀を貸してくれたらしいが、あるときいくつかをくすねてしまったら、もう貸してもらえなくなったという。

結びの窟 ・・・ 二つの穴が結びついているゆえんであろう。

鏡の窟 ・・・ 確かに鏡石である。

途中に「揺らぎの岩」もあります。

一回りすた山道から、「陣の丸」展望所につながります。ここは長曾我部元親の阿南攻めの時の本陣だということである。ぼっちゃんのモデルといわれる松山中学の夏目の同僚・弘中先生が阿南に赴任し、散策した地であると云々。

〇天照大神生誕地 ・・・ イザナギ神が黄泉の国から帰ってみそぎした地(「古事記」にいう「筑紫の日向の橘の小門」(つくしのひむかのたちばなのおど))がこの橘湾だという伝承があり(谷川健一が岩波「日本の神々」で取り上げている)、その地に賀志波比売神社があります。「天照大神生誕地」の碑あり。(式内社なのですが、明治期に神社としては北方百メートルぐらいのところにある八幡神社に合祀された模様で、今の「賀志波比売神社」は最近また立てたみたいです。)

現在の賀志波比売神社。右手に石碑があって「天照大御神生誕地」とある。

〇小門(おど)のみそぎ岩

ここで三貴子が生まれたんです。按ずるにイザナギが淡路の神、イザナミが熊野の神であることは可能性が高く、橘湾にイザナギ伝説があることは不可解とはしがたい。

前方は湿地を開拓した水田が広がる。

〇日和佐のえびす洞 ・・・ 海蝕洞です。岩の頂上部にえびす洞神社あり。また、対岸に波切不動が祀られている(現在は「恋人岬」とされている)。

「奇勝」です。雨上がりで危険かと思われたが、冒険民俗学研究者としては行かざるを得ない。

すべったらこちらが「えびすさん」(水死体の意)になりそうな岩場を通り過ぎると、かっこいい「海蝕洞」が出現。

 

〇海南文化村・博物館 ・・・ 海陽町の地域歴史博物館である。大里古墳出土遺物、大里古銭(全国七番目ぐらいの多量の宋銭が出た)、そして海部刀の逸品を展示する。今日は東北刀の企画展中。

大里古墳出土遺物。刀剣のかっこいいのは写真撮影に許可がいるみたいなんで、今回はガマン。ほかに阿波浄瑠璃人形や、漁業関係含む民俗品の展示あり。

〇大里八幡社・和奈佐意富曽神社 ・・・ 大里松原の中にあります。八幡社は関船(船型山車)の祭りで名高く、意富佐神社はその姫神であろうが、こちらが延喜式内。

八幡社。コンクリ造りなんですが、背後の森の深さ、海に面していることなど、由緒の深さを感じる。

八幡社から左へ100メートルほど行った場所に立つ和奈佐意富曾(わなさおふそ)神社。社殿は昭和後半に作られたかわいいやつです。

〇大里古墳(2号墳) ・・・ 6世紀末〜七世紀初の円墳。徳島三位の石室を持つ。

県の最初の指定史跡だそうです。

〇大里の町は刀剣だけでなく火縄銃製造でも有名である。火縄銃の発射実験のための射場、竹林による「迷路」が遺されているのである。百発百中居士・来条(きたじょう)義蔵の墓所もある。

〇宍食(ししぐい) ・・・ 阿波側の最後の浦です。

ゴルフの尾崎将司さん、そして阪急・オリックス・日ハムの監督をやった上田利治さんの出身地だそうです。道の駅に上田さんのユニフォームが寄贈されていた。

〇甲浦(かんのうら) ・・・ 高知に入りました。甲浦は土佐東街道の宿場でもあり、近くの出身である中岡慎太郎などもよく行き来していたらしい。

白浜海岸にあった三体の左義長の「やま」。一体はまだ閉じておらず、お人形さんなども燃やされるようである。

明治七年、佐賀から逃げてきた江藤新平が通ろうとして捕まった場所です。大正になってから有志が立てた「江藤君遭災の碑」があります。

〇室戸岬

・夫婦岩 ・・・ 夫婦だけでなく五岩ぐらいあります。

一年の一定の日には、岩の間から沖に火が見えるのだそうです。「夫婦岩」という名前になって、左側の二つの岩にしめ縄がわたされたのはつい最近ではないかと思われる。

・御厨人窟(みくろ洞) ・・・ 青年時代の弘法大師がここで修業して、ある日、明星が口の中に入った幻覚を得て悟ったというところである。

左側の穴が大師が籠ったところだそうです。ヘルメットとか用意してあったが、穴自体は深くはなかった。大師が修行された八世紀のころは、窟屋の真ん前ぐらいまで海だったそうです。

・室戸岬ジオパーク ・・・ 灌頂が浜、目洗池、行水池など大師ゆかりの遺跡も多くある。ほかに烏帽子岩、びがじょ岩など。植生が奄美そっくり。

中岡慎太郎像。

この向こうから台風が来るんだなあ。堤防外に民家もあってびっくりした。

アコウ(がじゅまる)の木。亜熱帯の植生は、沖縄というより種子島や奄美に似ています。

・御崎の泊り ・・・ 土佐日記で国司一行が泊まるところであるが、室津の港ではなかったのであろうか。

・水かけ地蔵 ・・・ 水難者の菩提を祈る。ネコ三匹いました。

〇室津神社 ・・・ 室津川上流にあり。むろつひめを祀る土佐国式内社。

鳥居をくぐって石段を昇っていくと、星神社と室津神社があります。土佐の式内社らしく、不便な山中にこじんまりと、しかし信仰心篤く祀られている。

このあたりはまた調べないといけません。岡本全勝さんが若いころを過ごしたという徳島市内は今回まったく手がつかなかったし、徳島ラーメンも食えなかったんです。黒潮会席や三種丼セットなどすさまじい量のものは食べたが。海のものは美味い。

 

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