令和元年11月26日(火)  目次へ  前回に戻る

山吹色の腹の足しにならないやつと違って、巨大おにぎりを袖の下として持ってきたぶた悪徳商人の振舞いに、「ぶぶぶ、よう勉強しておるのう」とご満悦のぶたとのである。勉強は大切だ。

今日は暖かかったですね。ローマ法王が来日中だそうです。

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「ローマ法王もお見えになっているような時期だから、何か役に立つ話をしてみたまえ」

「はい、わかりました」

と言って、わたしが申し上げましたことには、

公明宣学于曾子、三年不読書。

公明宣、曾子に学び、三年書を読まず。

春秋の時代、魯の公明宣というひとは、孔子の弟子である曾子の弟子であったが、弟子入りしてから三年間、本を読んで勉強する、ということを全くしなかった。

というのです。

曾子が心配して言った、

宣、而居参之門、三年不学、何也。

宣、而(なんじ)参の門に居りて三年学ばず、何ぞや。

「宣」は公明宣の、「参」は曾子自身の、それぞれ名前です。

「公明宣よ、おまえさんはこの曾参の弟子になってもう三年になる。その間勉強していないみたいじゃが、どういうじゃ」

公明宣は答えた、

安敢不学。

いずくんぞあえて学ばざらんや。

「どうして勉強していない、ということがありましょうか」

「勉強しているのかな?」

「しているのでございます。

宣見夫子居宮庭、親在、叱咤之声未嘗至于犬馬。宣説之、学而未能。

宣、夫子の宮庭に居るを見るに、親在(いま)せば叱咤の声かつて犬馬にも至らず。宣はこれを説(よろこ)びて学ぶもいまだあたわず。

わたくし宣が、先生が自宅におられますときを観察しておりますと、親御様がおられるときには、イヌやウマに対してもお叱りの声をあげることはございません。わたくし宣は「これはすばらしい」と思って真似できるよう勉強しているのですが、まだまだなのでございます。

宣見夫子之応賓客、恭倹而不懈惰。宣説之、学而未能。

宣、夫子の賓客に応ずるを見るに、恭倹にして懈惰せず。宣はこれを説(よろこ)びて学ぶもいまだあたわず。

わたくし宣が、先生が大切なお客人を応接しておられますときを観察しておりますと、恭しくつつましやかであられるが、手を抜いたりいい加減な対応はなさられません。わたくし宣は「これはすばらしい」と思って真似できるよう勉強しているのですが、まだまだなのでございます。

宣見夫子之居朝廷、厳臨下而不毀傷。宣説之、学而未能。

宣、夫子の朝廷に居るを見るに、厳として下に臨むも毀傷せず。宣はこれを説(よろこ)びて学ぶもいまだあたわず。

わたくし宣が、先生がお役所で仕事しておられますときを観察しておりますと、部下に対して威厳を持って対応されますが、相手を傷つけることはありません。わたくし宣は「これはすばらしい」と思って真似できるよう勉強しているのですが、まだまだなのでございます。

ああ、

宣説此三者、学而未能、宣安敢不学而居夫子之門乎。

宣はこの三者を説びて学ぶもいまだあたわず、宣いずくんぞあえて学ばずして夫子の門に居らんや。

わたくし宣はこの三つのことを「これはすばらしい」と思って真似できるよう勉強しようとしているのですが、まだまだなのです。わたくし宣が、どうして勉強もせずに先生の弟子でいるということがありましょうか」

「なるほどなあ」

それを聞いて、

曾子避席謝之曰、参不及、宣其学而已。※

曾子、席を避けてこれに謝して曰く、「参及ばず、宣はそれ学べるのみ」と。

曾子は敷いていた座布団から離れ(上席であることを自ら否定して)、言った。

「この曾参は敵わんわい。おまえさんはちゃんと勉強しているのじゃなあ」

と。

こういうふうに上手く答えられるなら、勉強してなくてもいいんです。役に立つなあ。わしももう勉強するの止めようかなあ。

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「説苑」巻二十・反質篇より。「反質」というのは、「質朴に返れ」という意味だそうで、この章は質朴に返って勉強を止めよう、という呼びかけなんです。

ところが、この公明宣の逸話は「説苑」の中でもかなり有名な話柄になりました。何ゆえにとなれば、南宋の朱晦庵(後世に「朱子」といわれるようになるひと)がその編纂した「小学」の明倫篇に「父子の親を明らかにする」ために引用したからです。ちなみに、最後の「曾子が座布団から離れて・・・」の※の一行だけは引用していません。師と弟子の在り方を否定するような記述になっているから「こんなことはあり得ないだろう」と考えたのではないかと思います。

しかし全体として「勉強サボってるように見えますけど勉強してますねん」という言い訳にお墨付きを与えてしまっているようになってて、ゴリゴリの厳格主義の「小学」の中ではひときわ爽やかな後味になっています。

 

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